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東京家庭裁判所 昭和41年(家)8566号 審判 1967年5月06日

申立人 川辺勤(仮名)

相手方 町田輝子(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

一  申立の趣旨

申立人は、「相手方は申立人に対し、離婚に伴う財産分与として別紙目録記載の不動産を無償譲渡し、その所有権移転登記手続をせよ。申立人が設立経営していた東京○○工業株式会社の営業権を申立人に回復せよ」との審判を求めた。

二  当裁判所の認定した事実

当事者双方審問の結果並びに本件記録および昭和四〇年(家イ)第六一七〇号夫婦関係調整事件記録添付の資料を綜合すれば、次の事実を確認することができる。

(一)  申立人と相手方は昭和一六年五月に挙式し、昭和一七年五月一一日に婚姻届出をし、その間に長女安子(昭和一七年四月三日生)、次女礼子(生後間もなく死亡)、長男正道(昭和二二年一一月一二日生)、三女葉子(昭和二四年一月一九日生)を儲けた。

(二)  当事者双方は昭和二三年五月から相手方現住所において真空管用部品加工業をはじめたが、その創業に当つて相手方伯母から金二〇万円を金借し、それをもつて土地六七坪を借地し、また建坪四九・五八平方米(一五坪)の工場兼居宅を建築した。

(三)  申立人は電機学校卒業であるため、真空管用部品加工はその専門に属し、その関係で機械も借り、当初の頃は申立人が主となつて仕事をした。その間相手方も家事、育児の合間にはよく手伝つた。

そして創業間もない頃から真空管の仕事がブームになつたためかなりの収益を挙げ、前記借金も間もなく完済し、更に、昭和二六年二月に東京○○工業株式会社という会社組織にし、申立人がその代表取締役となつた。そして更に、昭和三一年に公庫から一九万円金借し、家屋を増築して別紙目録記載のごとき二棟の家屋となつた。

(四)  申立人は昭和三三年八月頃から申立外小川道子と関係を生じ、昭和三四年暮頃からは同女が相手方家庭にまできて毒づいたりしたため、申立人と相手方間にも喧嘩口論が絶えず、そのためこの三者で話合の上、昭和三五年三月二五日に金五万円、同年八月一三日に金六万円を相手方より小川道子に渡し、これで同女と申立人間の関係を一切解消することとしたが、いつの間にかその関係は復活し、昭和三五年一一月には申立人より小川道子に時価一五万円のドイツ製カメラ一台を与え、更に昭和三六年六月一七日に、相手方父母である町田良助夫婦と相談して、同人から小川道子に対する手切金として八万円を支出してもらい、これを同女に渡した。

(五)  以上のごとき申立人の度重なる不貞があつたため、昭和三七年三月一〇日に当事者間で覚書を作成し、そこで、申立人より相手方に対し、申立人の不貞行為による慰謝料として、申立人所有の別紙目録記載の不動産並びに動産、株券、債券等を贈与し、不動産についてはその頃贈与を原因として所有権移転登記を了した。

なお、上記覚書中には、「将来同女との関係を復活し或は同女以外の女性との間に之と類似の行為のあつたときは私は直に貴殿との離婚に同意し財産の分与等一切請求せず総ての財産を貴殿に与え早速に現住の建物から無条件で立退くことは勿論、東京○○工業株式会社取締役社長の職をも辞任し株主権も抛棄し、いささかの御迷惑をもお掛けいたしません、」と記載してある。

(六)  その後も申立人は時々小川道子と会い、仕事の方にもあまり身を入れず、家庭もあまりかえりみなかつたが、昭和三九年一月三〇日に申立人が家を出て別居した。申立人はその間に三ヵ月位天理教の本部に行つて修行してきたが、その後相手方は申立人を家に入れなかつたため、昭和四〇年一二月下旬に申立人は内容証明郵便を送ると同時に帰宅し、そのため相手方は当裁判所に離婚の調停を申立て、その結果昭和四一年八月二二日離婚調停が成立した。なおその際、未成年の子二人の親権者は母である相手方と定められ、その外には、財産的な取り決めは一切なされていない。

(七)  申立人はその後キャノンカメラ部品製造の下請をしている義弟の手伝をして月三万乃至四万円の収入を得、その外にも他の会社の下請を始めようとしており、また最近小川道子以外の女性と再婚をした。

相手方は昭和三九年六月七日以来東京○○工業株式会社の代表取締役となり、従業員一人を使つて約八万円の収入を得ており、また長女は昭和四一年五月に婚姻し、その費用として約一三〇万円を使い、長男は専修大学経済学部に昭和四一年四月に入学し、その入学時には預金から三三万円を引き出して使用し、二女は東横学園短大に昭和四二年四月に入学し、その入学金として一三万三、五〇〇円を納付した。このため相手方の預金は皆無のようである。(相手方にはこのほか税金の滞納金もあり別紙目録記載の不動産は大蔵省のため低当権が設定されている)。そして更に、現在長男、二女の教育費、生活費として多額の費用を要する状態にあるが、申立人からは何等の援助を受けていない。

三  当裁判所の判断

当事者双方が協力して創立した東京○○工業株式会社並びにその会社を運用することによつて得た利益および財産は、当初の頃は申立人の能力に負うところが大きいが、中途からは相手方の努力によるところが少なくなく、したがつて当事者双方の上記財産に対する潜在的持分は各二分の一宛と見るのが相当である。

申立人はその後女性関係を生じ、そのため昭和三七年三月一〇日に覚書を作成して、申立人所有名義の不動産(別紙目録記載のもの)、動産、株券、債権等を慰謝料として相手方に譲渡した。これは形式的には、申立人が全部所有していたものを相手方に全部贈与したように見えるが、実質的には、相手方はすでに二分の一の潜在的所有権を有していたのであるから、申立人は自己の持分に属する残りの二分の一を相手方に慰謝料として譲渡したものと見るべきである。そして申立人は、顕在的には勿論、潜在的にも無一物になつた。

その後、当事者間にはいろいろないきさつがあつたが、昭和四一年八月二二日に調停離婚をした。そして上記覚書作成当時から離婚調停成立までの間に、申立人が相手方所有の財産の維持増加のためにとくに寄与とした認めるべきものは存しない。もし仮にあつたとしても、それは長女の結婚費用、長男の大学入学金(いずれも当事者の離婚前に要したもの)に費消したものというべきである。したがつて、当事者間には清算すべき共有財産は何等存しないものというべきであるから、夫婦共同生活中の共通の財産の清算という観点からは、申立人の請求は認められない。

なお、財産分与請求権には、離婚について責任を有する者に対する損害の賠償と、離婚後の生活についての扶養という性質をも帯びているが、本件において、離婚につき責任を有している者は申立人であることが明らかであるから、申立人から無責配偶者である相手方に対して損害の賠償を請求することはできないものというべきであり、また離婚後の扶養という観点から見ても、申立人の現状から見て、その必要性があるとは認められない。

次に、申立人は、「東京○○工業株式会社の営業権を申立人に回復せよ」との審判を求めているが、これは申立人と同会社間の問題であつて、申立人と相手方間の問題、すなわち夫婦間の問題ではなく、したがつて本件財産分与請求とは関係がない。この点につき、申立人が同会社の取締役たる地位を回復するために株券の分与を求めたいという趣旨のものであれば、これは上記理由により認め難いところである。

なお附言するに、申立人は、上記昭和三七年三月一〇日付の覚書は離婚を前提としたものではなく、むしろ離婚をしないようにという趣旨で作成されたものであるが、相手方は上記覚書によつて財産を取得するや次第に申立人を邪魔者扱いにし、また申立人の夫権、父権を無視するようになり、ついに申立人を窮地に陥れて離婚の止むなきに至らしめたものであつて、これは相手方の詐欺によるものだと主張するかも知れないが、申立人が上記覚書においてその財産を贈与したについては、申立人の不貞という理由があつたのであり、またその後離婚するに至つたのは、申立人が上記覚書作成後も相手方の信頼関係を裏切るような行為があつたからであつて、相手方に詐欺の意思があつたものとは認められない。

以上説示のように、申立人の本件申立はいずれの観点から見ても理由がないからこれを却下することとし、主文のとおり審判する

(家事審判官 日野原昌)

別紙(編略)

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